子供の頃から知ってる人が引越していく時の気持ち


こんにちは、皆さんにはこんな経験ありますか?

私は、愛知県の名古屋駅から車で30分くらいの場所の住宅街、田舎の町の育ちで。
今は家がたくさん立ち並ぶ所だけれど、昔は草がぼーぼー生えた、空き地だらけの場所で、
雪が降ったらそこに段ボールを持っていき、雪滑りを楽しんでいたり、
友達とタイムカプセルを作って、勝手に空き地に埋めたり(今そこには家が建ってしまった)
秘密基地を作ったり、犬の散歩でお気に入りの空き地があったり、
テントウ虫がたくさんいる空き地もあったり、

今では、空き地を見つける方が難しいです。
広い空き地に5軒もの家が建つんだーって思った。

顔も名前も分からない人たちが越してきて
私もそのうち海外へ行ったり、東京へ行ったり
帰ってくるとまた空き地がつぶされて、家が建っていて
普通に生活をしている。

空き地には柿の木だったり、桜の木も植えてあったけど、それも無くなってた。

小さい頃には幼稚園から帰ってきて、お隣さんたちの家を行き来したりとしていた記憶があって
うちの母もちょっと見ててとお願いしている時もあった。
回覧板を持っていくからついてきてと言われて、次に回すのが大好きだった。

その度にピンポーン鳴らして話すのが大好きだった。

ある日そのお隣さんも引越した。
お家に広い庭があって、よく走りまわってた場所。

そこがつぶれて4軒くらい家がたった。

悲しかったけど、まだ裏にも目の前にも知っている人がいた。

また隣の家はあるけれど、中にいる人がいなくなった。
たまにお隣の息子さんが来るだけ。

つい先日、私の実家の大好きなご近所さんが引越して行った。

それは、実家の目の前のお家。おばあちゃんとおじいちゃんが住んでいて。いつも仲良しで。

私が海外に行っても、世界一周に行っても、
東京、広島に行っても、帰ってくると道の向かいで手を振って

「ちーちゃん、帰ってきてたんだね!おかえり~」

と声をかけてくれた。
私の小さい頃から知ってくれていて、お父さんが亡くなったり色々あった時から知っているので、
いつもうちのお母さんの事を褒めていて、

「市民栄誉賞をもらうべきよ!本当にすごい!よく頑張って、こんなにいい子たちを育てあげて。」

っていつも大げさな(笑)と思いつつも自分の母をそんな風に言ってくれて嬉しかった。

引越すと聞いてから、急いで会いに行って話にいった。

綺麗好きなおばあちゃん、ぜったいに家を大切にしていて、
娘さんたちは帰ってこないと以前聞いていて、なんなら私が住みたいくらいだよと思ってた。

「ごめんね、もう決めちゃってもう売れちゃったの。早かったな。」

「大切にしてきた家だけど、年には勝てなかった…。ごめんね、ちーちゃん。」

「見て、ここも素敵でしょう?庭も頑張って手入れしてたの。」

たくさん話してくれるおばあちゃん。
最近おじいちゃんが体調を崩して全然手入れが出来ていないと言っていた庭も
古民家や空き家をたくさん見てきた自分からしたらすごく綺麗だった。

年もあるから駅が近くて便利なマンションに引っ越すことになったと。

実は最初に会いに行きたいとインターホンを鳴らした時に
おばあちゃんは不在でおじいちゃんだけだった。

「今出かけてるから、午後ならいるよ」と言って、出直したのだけれど、

「お父さん(おじいちゃん)がちーちゃん見て、なんて言ったと思う?」

(私)「何?」

「(私の)お父さんにそっくりでビックリしたって。(兄弟の中で)一番似てるって。」

母に似ているとよく言われるので、父に似ているなんてそこまで言われた事もなかったのに、
急にそんな風に言われて、私は涙が出てきてしまった。

もう亡くなって、29年も経つ父の事を知ってる人がいなくなるんだと思っても悲しかった。

父もきっとこのおばあちゃん、おじいちゃんが引越す事を悲しんでいるのだろうと、
私と一緒に最後に挨拶にきたんじゃないかと思った。
それをおじいちゃんが私と重なって見えたんだと思った。

一通り自慢のお庭を案内してくれて、おばあちゃんが

「誰が何をするか分からないけど、全部壊しちゃうとは聞いたの。」

50年以上ここ建っているりっぱな日本家屋が、壊されてしまうのも残念で、
昔から自分の事を知っていて、可愛がってくれていた人がいなくなるのもさみしい。
大好きな人たちが去って、ここに知らない人が越してくる…なんとも言えない気持ちになった。

「ちーちゃんの事、ずっと引き取って育てたいねって話してたくらい可愛かったのよ。」
「ありがとうね。元気でね。お手紙頂戴ね。」

そういわれて、私も別れを告げて、泣きながら実家に戻った。

でも、確かに車がないと生活がしずらいこの地域に、お年寄りで運転ができなくなった時に
私がずっとそばにいてあげられる訳もないし、
ただ、私がさみしいからって言う理由で止めるのもおかしな話。
結局は本人たちが決めた事、私は結果だけ知らされて驚いたけれど、
もう何年も考えていたことだったらしい。

自分が子供のころって、こんなにも色々変化していく事、
知らされていたり、大人から聞いていたりしても、
それはもっと先に起こる事だと思っていて。

大人が「懐かしいな、ここには昔これがあって…」

と話すたびに、また昔話だと思ってたけど、
今は地元に帰るとそんな話ばかりしてしまう。

年を重ねるごとに、変わらないものの方が少ない事に気付いてきた。

そこにある建物や、人の見た目も然り。
中身、人の考え方も変わっていく。
でもそれが悪い事ばかりじゃもちろんなく。
良い事もたくさんあって。

この気持ちも言葉にするのが難しいけれど、
いてもたってもいられなくて。
今のこのもやもやとしていた気持ちをここに記録として残しておく。
変わっていくこと、変わらないもの、大切にしていこうって
改めて思った。

大人たちはそれと付き合って、年を重ねていくのか。
子供の成長のように、変わっていくのが楽しみや切ない気持ちになるのがすごく大切で、
こうやって悲しい変化を受け入れる技術を成長と共に培ってきたのも事実であり、
自分の中で誰かに話したり、こうやって文字にしたりして私は消化させている。

そんな時に娘がトイストーリーにハマって、私も一緒に見て、
結果トイストーリー3で大号泣した。(笑)

こうやってアニメにもあるように、日々変化に対応してみんな生活してるのかって
また感じながら、日々の生活に戻ります。

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